COLUMN
太陽光発電コラム

2018/12/19

これからの太陽光発電は高利回りの夢をみるか

今回はちょっと仰々しい、某SF映画の原作のようなタイトルから始めてしまった。
いままで散々言われているとおり、幸か不幸か、我が国の太陽光発電設備が一般化したのは「高利回りの投資」であったから、ということは万人が認めるところだろう。FIT制度を利用する限り、どこの国でも同じ、ではあるのだが。

 

しかし、FIT制度の終焉が見えつつある今、太陽光発電事業者は投資という側面だけで事業に参入していいものか、今回はその辺をテーマにしてみよう。

これからの太陽光発電は高利回りの夢をみるか

あなたは太陽光発電に何を求めているのか

いきなりの変化球になるが、あなたは商品を購入する際、どのような情報を求めるだろうか。同じ目的、同じ機能、同じ性能であれば、どこに価値を見出すか?

Webサイトで「太陽光発電」と検索すると今も「利回り〇%以上!」「お得!」の文字が踊っている。

悪いとは言わない。
筆者も、一般の商品、例えば自分用にちょっといいボールペンでも探すとしたら、まずは安いところを探す。さらに具体的な商品名で検索し、1円でも安いところを見つけようとする。そして、届いた商品に少々の問題(例えば旧モデルだったり、外箱がつぶれていたり)があっても「これくらいしょうがないか、どこよりも安かったんだし、使うのには問題ないし」と自分を納得させる。

ところが、太陽光発電設備の場合、こうはいかない。
「自分で一番安いところを探して選んだ」のに、問題(例えば、シミュレーションを下回っている、雑草がわんさか生えているなど)があると「おかしい、補償しろ、すぐ対応しろ」とかなんとか、ややこしいことになってしまう。決して「しょうがないか、どこよりも安かったんだし」とはならない。

 

もし、あなたの太陽光発電所がどこよりも安く入手できたのに、ちょいちょいトラブルに見舞われて、このままじゃ収支に影響が出そう、などという状態だったら、それは「探し方が悪かった」のではなかっただろうか。「安い」ことを大きく謳って販売しているところには、「安さ」を求める人しか集まらないし、ボールペンの例えのごとく、「安い」ことにはワケがある。

 

どうしてこういう問題が出てくるのか。
それは太陽光発電で濡れ手で粟のごとく儲けようとするからだ。

 

確かに太陽光発電の入り口は投資であったし、FIT制度もそういった人々の動きで、設置を促進しようとする補助金政策だ(FITと補助金については、コラム:太陽光発電への規制は急に始まったのか)。

 

しかし、すでに一定、もしくはそれ以上の目的を達成してしまったFIT制度から、そこから利益をがっぽがっぽ、というビジネスはもう成立しない。現行のFIT買取価格は「兵どもが夢の跡」である。

これからの太陽光発電で見えるものとは

太陽光発電事業は、いま、一番厳しい局面に立っているのではないだろうか。政府によってアメ玉をあたえられ、規制があるような、無いような育て方をされてしまった幼稚産業だった時代は終わりを告げた。これからは「太陽光発電事業」そのものの魅力で事業を継続していかなくてはならない。そして、売電事業だけではない、さまざまなビジネスが派生して生まれてきている。

太陽光発電事業は儲からない事業、ではない。いままでが異常だっただけのことだ。「ふつうに」「当たり前に」事業として成立するだけの利益はある。そして太陽光発電だけが持ち、世の中に広めることができる大きなバリュー、魅力については、ここで改めて説明することはないだろう。

夢を見るのはやめて、未来を見よう。